『長崎原爆資料館と平和記念公園で原爆の恐怖を知る』ぶらり写真一人旅 in 長崎&熊本⑦

2013年3月13日~19日

【初一人旅!初撮影!初めて尽くしの長崎~熊本⑦】
長崎原爆資料館、平和記念公園、浦上天主堂

初めての一人旅で佐世保市~長崎市~島原~熊本~阿蘇山を旅した際の旅行記です。 

2013年3月16日

撮影機材

撮影機材はOLYMPUS XZ-1という「高級コンパクトデジタルカメラ」に分類されるデジカメで撮影しました。

カメラ本体

長崎原爆資料館

13時30分頃に長崎原爆資料館に着きました。
平和公園
⇒[http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/index.html:title]

長崎原爆資料館
⇒[http://nagasakipeace.jp/japanese/abm.html:title]

1945年8月9日に長崎へ原子爆弾、通称:ファットマンが投下されました。
プルトニウムを燃料とする広島へ投下されたリトルボーイの約1.5倍の威力を持つ原子爆弾です。
(同年8月6日に広島へ投下された原子爆弾は通称:リトルボーイと呼ばれています。)
威力は長崎のファットマンの方が高いのですが、山に囲まれた地形のおかげで広島より被害が少なかったそうです。
広島のリトルボーイの燃料はウランでガンバレル型と呼ばれる構造をしています。
核分裂の効率が悪くプルトニウムを燃料とする原子爆弾に対応できないため使われなくなったそうです。
一方、長崎のファットマンの燃料はプルトニウムでインプロージョン方式と呼ばれる構造をしています。
ちなみに後に開発された水素爆弾は水素の核融合を起こし莫大なエネルギーを放出させつ爆弾ですが、水素の核融合には普通の火薬では得られないレベルのエネルギーが必要なので、その起爆剤として原子爆弾が使われています。
起爆装置に原子爆弾を使わなければ放射性物質を放出しない、いわゆる、きれいな水素爆弾になると思いがちですが、水素の核融合でも放射性同位体は放出されるようでレーザーや磁場を用いた実験でも開発には至らなかったようです。

また、原子爆弾の威力の上限は構造上の問題から広島・長崎の数十倍が限界だそうですが、水素爆弾には今のところ限界がないと言われています。
第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の10倍の威力を持つと言われるツァーリ・ボンバが水素爆弾では有名です。


※https://interestyou.info/tsarbomba.htmlより写真を引用

広島の原子爆弾と比べると約3300倍の威力があるようですが、この画像で見ると一目瞭然です。

ちょっと横道に逸れましたが、原子爆弾の違いや怖さが分かったところで原爆資料館で撮った写真を公開していこうと思います。

1945年8月9日 11時2分で止まった時計。

瓊浦(けいほ)中学校の給水タンク

ファットマンの原寸大模型

ファットマンの構造はこのようになっているようです。
中央にプルトニウム、その周りをタンパー、遅い爆薬、速い爆薬が順に覆っています。
タンパーとは劣化ウランなどの重金属でできた中性子反射板のことです。
プルトニウムの核分裂反応によって飛び出した中性子を内側に反射させ閉じ込めることで核分裂反応を加速させる役割を担っています。
遅い爆薬、速い爆薬の部分が爆縮レンズ(インプロージョン方式の中心となる技術)の役割を担っています。

軍服

慢性骨髄性白血病(CML)により肥大した脾臓。
医療に携わる私としては興味深い展示でした。

印象に残っているのは「怒りの広島 祈りの長崎」という原子爆弾による被爆や反核運動・核廃絶運動・原水爆禁止運動などに対する態度の違いです。
それまでこのフレーズは聞いたことがなかったのですが、祈る長崎と表現されるのはクリスチャンが多いためでしょうか。

平和記念公園

原子爆弾落下中心地(グラウンド・ゼロ)

原子爆弾落下中心地でおばあちゃん2人がおしゃべりしているのが印象的でした。

原子爆弾落下中心地碑

浦上天主堂遺壁
近くにある浦上天主堂の被爆した石柱の一部を移築したものになります。

平和記念像

あぁ、有名なあの像か!という印象。
このポーズの意味は「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」という意味だそうです。

長崎の鐘

折鶴の塔

浦上天主堂

⇒[http://www1.odn.ne.jp/uracathe/:title]

平和記念像の近くの「天主堂の見える丘」からの風景です。

位置的には平和記念像の左手が指す方角になります。
徒歩10分くらいです。
緑の帽子がトレードマークの浦上天主堂です。

「空飛ぶ教皇」として有名だったヨハネ・パウロ2世。
在位期間が長かった上に有名過ぎて、私はローマ法王と言われると未だにこの方が一番はじめに思い浮かぶほどです。
死後10年足らずで聖人に列聖されたことでも記憶に新しいキリスト教の偉人です。

ステンドグラスが綺麗だった印象があるのですが、写真がありません。
たぶん、教会内は撮影禁止だったのでしょう。

如己堂(永井隆記念館)

原子爆弾により白血病を患いながらも、被爆者の救護や原爆の医学的研究に尽力した永井隆博士の住居跡です。

この後は電車に乗って島原を目指します!

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